講話 ・ 式辞

儀式等で お話しした内容を掲載いたします。

令和2年度第1学期終業式 校長講話

令和2年7月31日

放送室

令和2年度第1学期終業式 校長講話

 

 皆さんこんにちは。

 まず始めに、これまでだれも経験したことのないコロナ禍によって目まぐるしく情勢が変化する中、感染拡大防止対策に積極的に取り組んでいただき、さらには、事故なく一学期を頑張りぬいた皆さんの努力に敬意を表します。おかげで、学校全体としては、これまでのところ概ね順調に教育活動が進んで来れたと感じています。

 今日は1学期の終業式です。各自で1学期を振り返り、頑張ったところは素直に自分を褒め、ここはもう少し頑張れたなぁというところは、今後改善するよう努めてください。

 皆さんは『雨ニモマケズ』という詩をご存じですか?

 宮沢賢治の没後に発見されたメモ帳に記されていた遺作です。

 賢治は1897(明治29)年、岩手県に生まれました。幼い頃から自然に親しみ、農業を盛岡高等農林学校で学んだ後、花巻農学校(現在の岩手県立花巻農業高等学校)で教員になりました。その後、教員をやめて自ら農業に従事し、農業の技術指導なども行いました。22歳の頃から肺結核を患い、何度か倒れ、療養生活を繰り返しましたが、1933(昭和8)年、急性肺炎のため37歳の若さで亡くなりました。若い頃からたくさんの詩や童話を書き残してきましたが、これらは他界したのちに評価されるようになりました。

 皆さんの中には、国語の授業で「注文の多い料理店」や「やまなし」などを読んだことがある人もいるかもしれませんね。

 賢治が常に考えていた大きな主題は、「あらゆる生命は、他の生命の犠牲のもとに成り立っている」ということです。これは、良いとか悪いとかいうものではなく、生命とはそういうものだということです。皆さんも毎日、動物、植物の命をいただいていますよね。この主題は、「よだかの星」や「やまなし(前半の「5月」)」などによく表れています。

 賢治は、「あらゆる生命がそうなのだから、自分中心の考えにとらわれず、欲を張らず、他人の役に立つ生き方をしたい」と思い続けていました。しかし、病気がちであり、納得できる生き方ができない自分がいる。賢治が、亡くなる2年前に病床で密かに書き残した、理想の生き方とそうできない自分との齟齬から生じる葛藤の言葉が、「雨ニモマケズ」なのです。

 皆さんの中には詩の全体を暗唱できる人もいると思いますが、今日はその一部を抜粋して紹介します。

 

 雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ、夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/……(中略)……

 東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ朿ヲ負イ/南ニ死ニソウナ人アレバ/行ッテコワガラナクテモイイトイイ/北ニケンカヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイイ/……(中略)……

 ホメラレモセズ/クニモサレズ/ソウイウモノニ/ワタシハナリタイ

 

 このところ、全国各地で豪雨災害が立て続けに発生していますが、そのような豪雨や雷は別として、皆さんには、雨や風、雪や夏の暑さに負けない丈夫な体と強い精神力を身に付けてもらいたいと思います。そして、今のうちに、力を十分に蓄えてもらって、将来、それぞれの持ち場で、何かしら人の役に立つ生き方をして欲しいと思います。80歳になり、百歳になり、人がその一生を閉じるとき、自分のためだけに生きてきた人は、あとには何も残りません。でも、人の役に立つ生き方をしてきた人は、その人の生きた証がその後の世代に引き継がれます。

 繰り返しになりますが、皆さんがこれからの命を大切にして、そして、命を大切にすることだけに止まらず、将来は、他人のことも考え、人の役に立つ生き方をして欲しいと思います。

 明日からの夏休み、色々な大会や行事があります。皆さんも各自計画をお持ちかと思いますが、事件、事故等に巻き込まれないよう、熱中症にならないよう十分注意をして、充実した夏休みを過ごしてください。

 8月25日には、皆さん、元気な姿で始業式に臨んでください。

 以上で、私の話を終わります。

 

 

埼玉県立川越総合高等学校

校長 服部 修

 

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